「教えることは、教わること。」
息子と二人だけの時間⚾
こんにちは、REIYAです。
2020年1月12日(日)。
今日は息子と秋田市内のスポーツグッズ店に、小学生用の軟式ボールを買いに行きました。
ボールだけ購入するつもりで出向いたお店でしたが、近くにこれでもかと並ぶ軟式グローブや軟式バットの群れに目を奪われた息子は、ボールそっちのけで物色し始めました、、。
「これ、8,000円もするんだ、、。」
小学生用の軟式バットを手に取り、つぶやく息子。
野球グッズに目を輝かす息子を見て、嬉しくなるのと同時に、少し申し訳なく思いました。
望むモノは可能な限り手に入れてやりたいものだ、、。
頑張らねば、、、と、自身を奮い立たせました。
これを機に、自分自身も本格的な左用グローブを買おうかと考えました。
(自身は左投げです。)
息子の投げる姿に、自身の少年時の記憶が蘇る
軟式ボールを手に入れ、さっそく近くの公園でキャッチボールを。
以前のゴムボールとは違い、グローブに収まった時の感覚がだいぶ違います。
息子もその感触を楽しんでいるかのようでした。
公園は、昨日の雪解け水の影響で芝地が水浸しに。
ボールを追いかけ走ると、びちゃびちゃ音を立てます。
その音が、自分の少年時代の記憶を思い起こさせてくれました。
バットやグローブを持参で向かった、小学校の野球場グラウンド。
前日の雨の影響で、グラウンドには大きな水たまりがいくつも。
それでも、友達と話し合い、引き返す気にはなれませんでした。
当時は、それくらい野球に熱中していたのです。
飽きるまで繰り返した、ノックや試合。
シャツやズボンを泥だらけにして帰宅。
しかし、母親は、「まあ、こんなに汚して。」と一言つぶやくだけで、それ以上は追及してきませんでした。
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軟式ボールを取り損ねて手首に当たり、痛がる息子。
しばらく手首を抑えて動きが止まる息子を見て、「まあ、初めてだし、無理もないよな。」と思う反面、「これぐらいのことは当たり前だぞ。」とたしなめる自分もいました。
甘やかせば、どこまでも軟弱に育つ可能性は十分にあります。
好きなことに目を輝かせる息子も、少し困難なこと、嫌なことに変わると、気持ちが逃げ腰に。
それからは、自身が小学生の時に経験した痛いこと、辛かったことを思い出せる限り、話していました。
こういったことも、息子とキャッチボールをしなければ、決して思い出さない記憶だったかもしれません。
”キャッチボールはコミュニケーション”
同時に、少し反省もしました。
思えば、自分が父親とキャッチボールをしていたのは小学校の高学年。
まだ2年生の息子には、自分の投げるボールも少し速く、キツ目だったのでしょう。
「パパ、速い。」
と言われ、ハッとしました。
少し山なりに、優しく投げるように工夫しました。
「キャッチボールはコミュニケーションと同じ。」
そんな言葉をも思い出していました。
キツイ、相手を傷つけるような言葉を発しても、相手は素直に受け止めてくれません。
相手の立場になって、相手が受け止めやすい言葉に改めなければいけません。
次第に、息子がグローブに収める頻度も増し、互いに心地よいキャッチボールができました。
「教えることは、教わること」
息子に、ゴロやフライの捕球の仕方を教えていた時に、またある言葉を思い出しました。
「教えることは、教わること。」
前職でも、後輩への指導が上手くいかない時などに、いつも思い返していた言葉です。
「何がどう、理解できないのか。」
「どう伝えれば、分かってもらえるのか。」
常に相手の考え、言葉に耳を傾けます。
親身に接していると、相手も心を開き、素直な言葉で返してくれます。
「自分はこう考えていたんですが、それではいけないのでしょうか。」
「こちらのやり方が上手くできると思ってました、、。」
相手の考え方が分かれば、もう答えは見えているようなものです。
教え方にも、正解はないと思っています。
結果として、上達するのであれば、相手が理解しやすい、受け入れやすい言葉に改めるだけ。
時に、相手のやり方に合わせることすらあります。
キャッチボールでも同じことです。
どうすれば、息子がもっと上達するのか。
前向きに取り組み、野球を好きでいられるのか。
息子の言葉にできるだけ耳を傾け、こちらも言葉を選びました。
私自身も学ぶことができた、有意義な時間でした。
『工夫次第で、キャッチボールも何倍も楽しくすることができる。』
そう思えた、日曜の午後でした。