大船渡高校の選手たちの想いは... | 高校球児たちのあしあと
”球児の数だけドラマがある。”

大船渡高校の選手たちの想いは...

2020年4月1日

自身が味わった悔しさを思い出し、、

 

(※私は小学生当時の草野球以外、全く野球経験者ではないことをあらかじめお断りしておきます。)

大船渡高校が岩手県大会の決勝で敗れたことに関し、監督が佐々木朗希投手を起用しなかったことについて多くの議論が巻き起こってますね。

私も先日、Twitterで「甲子園で佐々木投手の活躍を見たかった。」と発言してしまいましたが、ふと、自身の高校生当時のことを思い出し、安易な考え、発言などすべきじゃないと思い直しました。

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私は小学5年生から剣道を始め、秋田県内の高校に入学後も剣道部に所属しました。

剣道は団体戦の場合、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将というように5人で戦います。

先輩の3年生たちが部活を引退した直後の2年生時の秋、”新人戦”と呼ばれる県内の大会で私は「副将」として同期の仲間たちと戦いました。

当時の監督が、「同期だけでチームを組むのは自分が知る限り、初めてかもしれない。」とおっしゃってたこともあり、我々5人は、試合では一人も欠けることもなく、常に一緒に戦い続けていました。

ところが、、3年生にとっての最後の大会、夏の全国総体(インターハイ)の前哨戦となる全県総体が間近に迫っていた頃、練習中の意図せぬ”事故”により、私は右手の小指を骨折してしまいました。

しっかり防具を付けて竹刀で撃ち合う剣道において、骨折など、まずありえません。

私は信じられない気持ちと同時に、「何故、今になってこんな、、。」と、己の不運を呪いました。

治療後、『このまま終わるのは嫌だ、、。』と心のうちで思った私は監督に”哀願”していました。

「少し養生すれば練習できると思います。大丈夫です。」

少し、しつこかったのかもしれません。監督は、

「強情を張るな。今無理して、指がこの先ずっと使えなくなったらどうする?これからはパソコンを使う仕事が当たり前になる。将来のことを考えろ。」

その時は納得がいかず、ただ黙って監督の言葉に従うのみでしたが、今思えば、当時の監督の言葉には感謝しています。何か物を握る時は小指の方から力を入れます。小指が使えなくなるだけで、意外と握力は半減します。

それに、小指がちゃんと動かせるからこそ、今もこうしてパソコンのキーボードを自在に打ち、ブログの記事を書くことができています。(指が一本使えないだけでも、相当苦労しているかもしれません。)

しかし、当時の自分はその代償として、団体戦のメンバーから外されました。

誰が悪いわけでもありません。不運だったと言えば、それまでです。

でも、最後まで同期の仲間たちと一緒に戦えなかったことが悔しく、また、言いようのない罪悪感もありました。

いつも試合の勝敗にかかわらず、自分(副将)のあとを引き継いでくれたキャプテンであり、大将。

「あとは任せろ。」

その言葉に、防具の小手同士を突き合わせ、

「あとは頼んだ。」と鼓舞し、送り出していた自分。

もう、それが出来なくなってしまった、、。

骨折したあとも、キャプテンに申し訳なく、

「こんだごとなって、(こんなことになってしまって)ワリィ、、。」

自分の言葉にキャプテンは苦笑いしながら、

「いいっで。今更、んなごと言っだって、しょうがねぇべ。」

そう返してくれたものの、互いにやり切れない気持ちはあったと思います。

 

”不完全燃焼”で終わった最後の夏

いつも同期の5人だけで戦っていた団体戦。

しかし最後の夏だけは違っていました。

監督も、自分が外れたことで”踏ん切り”がついたのか、もう一人の同期も外され、代わりに実力の出てきた1年生がメンバーに入っていました。

自分が応援する目の前で、いつも一緒に戦っていた同期の3年生は3人。あとは2年生と1年生が加わっていました。それまでとは見える景色が全然違っていました。

いつも試合では、上位3校には入っていましたが、この最後の大会では全く結果が出ず、、

我々5人の夏はあっけなく終わりました。

自分が(今までのように)試合に出ていれば勝てたのか?

仮に出ていたとしても、勝負の行方は分かりません。

最後の大会ということもあり、監督も、「あまり無理するんじゃないぞ。」と言いながら、個人戦には出場させてもらいました。

その個人戦では、1回戦、2回戦と勝ち上がり、3回戦。

対戦相手は、、団体戦でいつも決勝進出を争っていたライバル校の副将。いつも竹刀を交えてきた因縁の相手です。それまでの彼との公式戦での戦績は、私の1勝2敗。

この最後の対決も、敗れました。3回戦敗退。この瞬間、私の最後の夏が終わりました。

ですが、この個人戦で彼と戦えたことは幸せだったかもしれません。負けたあとも、むしろすがすがしいくらいでした。

それよりも、団体戦で仲間と一緒に戦えなかったこと。そこに、”不完全燃焼”という気持ちがありました。

涙は出ませんでしたが、なんとも言いようのない、悔しさがありました。

 

流した涙は本当に”不完全燃焼”のものだったのか?

思わず、自身の高校生当時のことを引き合いに出しましたが、もちろん、今回の大船渡高校の一件とは、同列に論じられるものではないと思っています。

ただ、、佐々木投手をはじめ、大船渡の選手たちは、私が当時味わったのと同じ”不完全燃焼”のまま夏を終えてしまったのではないかと、、。(最初はそう思いました。)

有望な選手の将来のことを心配し、あえて起用しなかった監督の気持ちも分からないでもないですが、、

しかし、その代償として、彼ら大船渡の選手たちの最後を完全燃焼させてあげられなかったのでは、、。

どうも”納得のいかない”涙を見せているような気がしました。

実際、正捕手として出場した選手は、「できれば甲子園に行きたかった、、。」と話しているようです。

佐々木投手も本当は「投げたかった。」という気持ちでしょう。

 

甲子園という舞台が選手だけのものではなくなっている

では、監督の判断は誤りだったのでしょうか?

いや、佐々木投手の将来を気遣ったことは、私自身の経験からしても、納得できるものだと思います。年を経て今があるからこそ、そう思えます。当時の監督には感謝したいです。

問題はもっと違うところにある気がします。

「甲子園で彼の活躍を見たかった。」

そう発言した私自身、誤りだったと今では感じています。

甲子園は、それを応援する、観戦する我々視聴者のものではないはずです。その聖地を目指し、涙を流す選手たちのもの。周囲の人間がとやかく言うことではないと、今はっきり思います。

全国放送されることもあり、いつの間にか高校野球は、メディアを通して大衆の娯楽のようなものになっている気がします。

「彼を出せ。彼の投げる姿を見たいんだ。」

「彼も投げたいはずだ。かわいそうだと思わないのか。」

全て勝手な主張です。

選手たちの気持ちを最大限尊重し、監督が彼らと話し合って決めることではないでしょうか。

同じ高校生なのに、、なぜ野球だけがこんなに”周囲の外圧”を受けなければならないのか?

私の経験した剣道もしかりですが、高校生は全て全県総体、そして全国総体(インターハイ)を目指して必死に練習を重ねているはずです。

最後の夏の大会で敗れ、涙を流す悔しさは野球と一緒です。悔しいです。

ただ、私が当時味わった”不完全燃焼”と彼ら大船渡の選手たちのそれは異質のものです。

私の場合は、どうしようもない(起きてしまった事故)事実からくるものですが、彼らの場合は人為的なものと思えるからです。

野球だけが極度に美化され、メディアの餌食になっているような気がします。そして、いつの間にか、選手たち自身も、「佐々木が投げていれば、、。」などと自然に思わされる空気ができあがっている気がしてなりません。

そう、全て、言いようのない”周囲の外圧”を受けて、、。

「佐々木が投げなかったから俺たちは負けた、、。」

そんなふうに選手たちに思わせる空気を作り出していないでしょうか?

結局、それが彼らの涙を”不完全燃焼”なものに変えていると思うのです。マスコミや周囲の心ない大人たちの発言によって、、。それこそ、選手たちが可哀そうです。

我々外部の人間は、もっと温かく見守ることはできないでしょうか?

「佐々木投手がかわいそう。」

余計なおせっかいです。

監督が判断したことならば尊重すべきです。

彼らの戦場を汚してはならないと思います。

甲子園は我々のものではなく、彼らが努力の末に到達する聖地ではないでしょうか。

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野球素人の身で、長々と偉そうなことを書き連ねました。

彼らの熱い激闘にいつも感動させられています。その感動を多くの人に伝えたいと思い、このようにブログ記事を書いてます。

その感動は、彼らの熱い気持ちが伝わるからだと思ってます。同じ運動部経験者として。

だから、書かずにはいられません。彼らから伝わるこの感動を。

これからも、多くの人に感動を共有してもらえるよう、記事に熱を込めていきます。