球児たちに恥じない行為を
気持ちの良い挨拶をする球児たち
2019年10月24日(木)。
本日は、高校野球を観戦する大人たちが球場にゴミを放置していく問題について、非常に考えさせられる記事を他のブログで読ませて頂きました。
私は、この年の夏から秋にかけ、何度も秋田県内の球場に足を運びました。
目立つようなゴミの散乱などはありませんでしたが、やはりゼロというわけでもないと思います。
たとえ空き缶一つであっても、それを置いて帰るというのはどういう気持ちでしょうか。
もし私がそのような行為をしたとしたら、、恥ずかしくて球児たちの顔をまともに見られないと思います。
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これは秋田のこまちスタジアムでの話ですが、試合前に球場スタンド内を歩いていると、すれ違う球児たちに挨拶されます。
「こんちは!!」
とか、
「お疲れ様です!!」
などなど、、。
別に私はその野球部のOBでもありませんし、ただの高校野球好きのオジサンです。
そういう、誰に対しても挨拶をするという、彼らの行為をほぼ毎試合、見てきました。
「さすがによくできたものだなぁ。」と、気恥ずかしく会釈を返しながら見ていました。
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もしも、そういう気持ちのいい挨拶をしてくれる球児たちが、試合後に自分の残していった空き缶を処分していると考えたら、、?
いうまでもないことです。
彼らは全てを「当たり前のこと」としている
すでに他の記事等でも触れていますが、私は高校時代、剣道部に所属していました。
母校の秋田高校はだいぶ前の先輩の代から「私服通学可」になっていました。
しかし、代表的な体育会系である柔道部や剣道部については、部活動を卒業するまでは「学ラン必須」でした。
もちろん野球部も。
しかも、我々の代の剣道部は、夏の県大会前ともなると、「気合を入れるため」と称して、男子は全員丸刈り、女子もショートカットにしていました。
今考えれば、意味のない行為だと思います。
丸刈りにしたところで、試合に勝てるわけでもない。
ただ当時は、「それが当たり前」と疑いもせず、素直に受け入れていました。
さらに、、丸刈りにすることで、野球部の1年生などから「先輩」と間違われることが多々ありました、、。
入学したばかりの1年生は、まだ数多い先輩の顔を覚えきれないのでしょう。
「挨拶をしなかった」となれば、、非常にマズイ。
間違ってもいいから、挨拶をしておくべき、という彼らの気持ちが痛いほど理解できました。
同じ体育会系として、容易に想像できました。
私自身も1年生の頃は、同じような理由で先輩方から「制裁」を受けていたからです。
とは言っても、、野球部ではない自分が「学ラン・丸刈り」という条件のために、彼ら1年生の挨拶を受けるのは、さすがに気まずかったです。
しかも、彼らの挨拶は声がデカい!
『チャ!!』
(※当時、野球部の挨拶として有名でした。究極の省略形です。
『コンチハ!』➡ 『チハス!』➡ 『チャス!』➡ 『チャ!』)
廊下に響き渡るような大声でやられるものですから、たまりません。
しかも10人ぐらいまとまって来られると、身の置きどころがありませんでした。
「いや、違うんだよ、、。」とイチイチ答えるわけにもいかず、遠くから彼らを見つけた時には、避けてやり過ごすこともありました。
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つまりは、、彼らはそういう行為をごく「当たり前のこと」として植え付けられています。
良くも悪くも、身体が勝手に反応してしまうレベルです。
私のような剣道部であれば、まず道場に入る時に一礼。
練習後、率先して道場床の雑巾がけ。
マネージャーは練習中、スポーツドリンクを欠かさず準備します。
全て「日常の所作」として身に付けています。
イチイチ言われて動いているレベルでは、ダメなのです。
我々も常に彼らに見られている
私がもし、彼ら高校球児の立場だったら、、。
観客が球場に残していったゴミを回収することを「当たり前のこと」として植え付けられていたら、、。
何の疑いもなく、「丸刈り」を受け入れていた自分たちです。
ひょっとして、「観戦に(応援に)来てくれた人たちに感謝し、これくらいはしよう。」とすら思っているとしたら、、。
当時、体育館で試合を終えた自分たち剣道部員は、試合後に館内の掃除を兼ね、ゴミ拾いをすることもありました。
まぎれもなく、「日常の所作」でした。
今、観戦(応援)する側になってみると、非常に違和感を覚えます。
冒頭で、空き缶など残していったら、恥ずかしくて彼らに顔向けできないというようなことを書きましたが、彼らがそれすら「当たり前のこと」と考えているとしたら、ますます恥ずかしくないでしょうか。
球児たちの気持ちを、一人一人推し量ることはできません。
もし間違っているとしたら、申し訳ありません。
しかし、こういった「悪いこと」まで彼らに「当たり前のこと」と受け止めさせてはいけないような気がします。
様々な異論があるかもしれません。
考え方など、人によって、指導者によっていくらでも様変わりします。
ただ、これだけは言えると思います。
我々大人は、いつも彼ら球児たちの試合を観戦していますが、同時に彼ら球児たちからも見られています。
彼らに恥じない行為をしたいものです。