「球数制限」問題の狭間で揺れる球児たち | 高校球児たちのあしあと
”球児の数だけドラマがある。”

「球数制限」問題の狭間で揺れる球児たち

2020年4月1日

球児たちの立場になれば、、

2020年2月23日(日)。

こんにちは、REIYAです。

すでに取り沙汰されている高校野球の「球数制限」。

2020年の春から試験的に導入されるこの取り組みは、

「大会期間中に一人の投手が投げる球数は1週間に500球以内、3連戦を避ける日程を設定すること」

というものです。

これが高校球児たちに影響を及ぼさないはずはありません。

良い点、悪い点の双方が挙げられると思います。

あくまでも私個人の観点になりますが、”球児たちの立場”になれば、、

【良い点】

必然的に絶対的エース一人で勝ち上がることは難しくなるため、どのチームも複数投手を揃えるようになる

➡ マウンドに立つ機会を与えられる球児が増え、本人たちの意欲向上、または彼ら自身の可能性を拡げる機会になる

【悪い点】

「ここは連投したい(投げ続けたい)」という試合展開においても、断念せざるを得ない場面が出てくる

➡ 能力のある球児の意欲低下

 

特に【悪い点】の方は、これまでにも問題となったケースではあります。

(昨夏の佐々木朗希投手の登板回避問題など。)

最も、これには日本全国の「高校野球ファン」の”期待”や”思惑”もあるわけです。

「何故、ここで投げさせないのか。」

「やっぱり、力のある投手の登板機会を控えるのはおかしい。球数制限なんて、、。」

という声も聞こえてきそうな気がするのは私だけでしょうか、、。

1人の高校野球ファンであり、2018年夏の「金農旋風」、吉田輝星投手の力投(連投)に魅せられた私としては、このような意見に同意したくもなります。

吉田投手が甲子園で投げた球数は準決勝までで592球。

しかし裏を返せば、この数字は例外的な(驚異的な)数字であり、同大会でこれほど多投している投手は他にいません。

となれば、やはり上記の「球数制限」は現実的な取り組みなのでしょうか。

皆さんはどう考えますか?

 

球児たちと観衆の思惑が一致したときに、、

あくまでも”球児たちの立場”になって考えたいとは思いますが、、

(写真はイメージです。)

ですが、その球児本人が「投げたい。」「肘が壊れてもいい。」と言い出せば、応援する観衆の思惑と期せず一致し、大きな声になることも考えられないでしょうか。

特に夏の最後の大会、さらには甲子園ともなれば、これまでに積み上げてきた成果をここで発揮せずにどうするんだという論調にもなりがちです。

金足農業が生み出した感動のドラマ、吉田投手が連投したあの夏の記憶、、。

日本国中を熱狂させたあの記憶は、今でも多くの高校野球ファンのハートに焼き付き、あの夏を契機として高校野球ファンになった方も多くいるはずです。

多くの観衆が魔曲「Gフレア」で一体化する。

「タイガーラグ」で球児たちを後押しする。

公立の農業高校、絶対的エースが一人で投げ抜くという図式は、いかにも日本人が好む、いわば”精神論”的ストーリーです。

もしも、吉田輝星投手のようなヒーロー的存在がこの先出てきたら、、あの夏を上回る熱狂が生まれることがあれば、、球児本人の声、チームメイトの声、多くの高校野球ファンの声を無視できるでしょうか。

試行期間3年の間に、そういう機会がやってこないとも限りません。

 

若者の未来を考えるならば、、

一方で、冷静に一歩引いて考えるならば、球児たちの将来を憂慮すべきでしょう。

その夏だけのストーリーを追い求めるあまり、本人のその後の野球人生を潰してしまっては元も子もありません。

上記の考えかたとは矛盾するようですが、ストーリーを追い求めたい気持ちとは別に、そこは冷静に考えるべきだと思っています。

米国では、日本の高校生がこれだけの連投・多投する姿を”異状”ととらえているようです。

かの国では昔からデータ分析に基づく野球を推し進める気風があり、そこは野球に限らず、(例えば米軍の戦術など)数字で客観的に状況を判断します。

(写真はイメージです。)

一方、日本では昔から精神論に傾倒する癖があり、「全力で戦い、散る姿は美しい。」という論調が大勢を占めがちです。

最近では、「甲子園だけが全てではない。」という見方も出てきています。

本当に野球を大好きで、この先も続けたいという球児を守るには、一時の情熱にとらわれがちなその心に歯止めをかけることも必要なのでしょう。

ドラマをアツく見守りたいという熱情。

球児の将来を考えねばという理性。

難しいところではありますが、今後の成り行きを見守りたいと思います。

”球児の立場”で考えることを忘れずに。